こどおじ家父長制
表現の自由戦士を観察すると、親の立場から子供の接する作品の性描写や暴力描写を懸念する声にやたらと噛みつく傾向が見え、家族形成から不当に疎外されたと思っているインセルオタクのルサンチマンがうかがえて微笑ましい。TLの諸先輩方は子育てツイートを多めにされると効果的に彼らに刺さるのでは。
— hhasegawa (@hhasegawa) 2020年3月5日
首相を見ていると、単純な家父長的保守政治家とはだいぶズレている面があり、例えば野党議員と討論すると必ず「親や教師に叱られる子供」の側になって、むしろそれを支持の源泉にしてさえいる。戦後民主主義の帰結として(!)江藤淳的な治者たり得なくなった大衆は、子の方に自己同一化するのである。
— hhasegawa (@hhasegawa) 2020年4月2日
(承前)で、この構図は、いい歳をしたはずの人間が「親の立場」ではなく「子の立場」でしかものを考えられない現象(https://t.co/K9bG6IkrM3)とも相即しているのではないか。オタクや表現の自由戦士が体制を擁護したくなる心理的要因としては、このあたりのメカニズムも考えた方がよさそうである。
— hhasegawa (@hhasegawa) 2020年4月2日
補足すれば、支持母体からもわかるように、家父長制的な支配に魅了され一貫して理念に掲げてきたのも事実で、そのくせ本人は「家長」ではなく「お子様」キャラという鵺的構造が見事に現代日本にマッチしたわけである。「ゾンビ家父長制」、「こどおじ家父長制」などの分析概念が必要なのかもしれない。 https://t.co/tMEBtrznl7
— hhasegawa (@hhasegawa) 2020年4月3日
「萌えミリ」ジャンルについては、根源にあるのは性欲と武力への欲望の融合体なのは確実ながら、その線で娯楽作品をつくると一般的には「武装した男が戦って女を得る」になるところを、「武装した女だけに戦わせて(視聴者やプレイヤーの)男は背後で見ているだけ」としたことが独創性なのではないか。 https://t.co/pA61PS6gXV
— hhasegawa (@hhasegawa) 2020年5月16日
(承前)で、視聴者=男は、みずから「強い男」になるわずらわしさや体育会系的な人間関係から逃避できる一方、使役して戦わせる女への支配だけは維持できるので、「こどおじ家父長制」(https://t.co/xwNXf8dXYQ)には最適で、それが普通のミリタリーもの以上にネトウヨを引きつけるのだろうと思う。
— hhasegawa (@hhasegawa) 2020年5月16日
安倍晋三については、長谷川晴生氏のこの指摘が重要と思う。まさに幼稚で自己中心的な、歴史修正主義とも親和性が高い性格であるが、それが今の日本のある状況にはまってしまっているのである。https://t.co/nUtswsMkv7
— 墨東公安委員会 (@bokukoui) 2020年5月8日
いまブログで写真家がなぜクソ炎上を繰り返すのか書いてたけど、本当にこの「こどもおじさん」「こどおじ家父長制」というタームは慧眼だと思う。「シーライオニング」並みに注目されてほしい。 https://t.co/SPszIceRBn
— 広く表現の自由を守るオタク連合 (@hyougenmamoru) 2020年10月24日
過剰包装の問題を訴える高校生にイキってる大人たち、長谷川氏が提唱する「こどおじ家父長制」概念のバリエーションとしても考えられる。 https://t.co/lafiSoGwOf
— 北守 (@hokusyu82) 2020年7月21日